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2002.12.27

20世紀の夢の果て

(この11月、ラオスと中国という二つの社会主義国に出張に行くことになって考えたこと。)

ラオスと言うのは、正式な国号を「ラオス人民民主主義共和国」とする社会主義国なわけですが、実は、わたくしにとって始めての社会主義国です。もう世界に数えるほどしか残っていないので、北朝鮮とかも早めに行ってみたい気はします。あ、そういえば、今月後半に行く中国も社会主義国か。

さて、旧東京宝塚劇場の跡地に無印良品がありますよね(1階はソフマップ)、わたくし、あそこにしばらくいると、あまりの窮屈さ(物理的ではなくて)に息が詰まりそうになります。

無印良品には、衣料品、食料品、文房具、日用雑貨、家具、家電製品、化粧品、果ては生理用品とかコンドームまで、品の善し悪しはともかく日々の生活に必要だなと思うものなら大抵のものは揃ってます(ただし、衣料品を除くと、どれも一種類しかない!)。最近は、眼鏡や生花まで無印良品ブランドで扱い始めたようです。そして、そこには、MUJIというコンセプトの底層にある消費社会への問題提起という価値観や、統一的なデザインまでそなわっています。

つくづく思うのは、共産主義の下の産業化が成功していたら、あの無印良品のようなことになっていたのではないのかということです。「労働」や「勝利」や「人民」に代わって、「MUJI」という共通のスローガンがあります。デザインは、機能を重視した構成主義的な傾向をもっています。有楽町の店鋪には「人民食堂」まで併設されてます。

結局産業化に失敗したソ連では物が溢れるということはなかったようですが、ソビエト経済繁栄の象徴(になるはずだった)モスクワ(国立百貨店)は、ああなるはずだったのではないでしょうか。

気味が悪いのは、今の世の中に欠けている(あるいは、ありすぎる)何かが無印良品にはある(あるいは、ない)と、わたくしも含めてみんなが思っていそうなところ。

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2002.12.26

Siren Mole

この夏、仕事で行ったシドニーで1日だけあったフリーの日に、ロックスの Museum of Contemporary Artに行きました。何となく行っただけなのですが、Patricia Piccininiという人の特別展で展示されていたヘンな架空の生き物であるExallocephalla Parthenopaの展示に感動したので、今さらながら紹介します。

想像上の生き物をでっち上げて模型を作るということ自体は、芸術活動の中でよくあることだろうと思いますが、彼女は生物学などの専門家に聞き取りをして、実際にありうる姿をコンピューター上でモデリングしたものを製作しています。

「コンピューターアートでありながら、現実的な訴えかけをもつ不思議な存在感があったところが印象的でした。よくあるインタラクティブコンテンツという、結局スイッチを押すとランプが光るということの亜流でしかありません。ぼくは、前からそれは違うんじゃないかと思っていた(少なくともぼくにはあまり興味がない)わけですが、これは、それとはまったく別の次元で、ぼくたちと彼らとの相互的な関わり、という意味でのインタラクティブ性を示してくれたことが印象的でした。彼女がこの作品を通じて喚起しようとしているのは、生命工学で新たなcreatureを作り出した人間の責任というテーマです。

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