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2005.11.30

続・中国の公衆電話

cn-phone-2002a中国の公衆電話の写真は以前に撮ったことがあったのを思い出し、探して出てきたのがこれ。カード式で、ちょっと小ぶりの赤い電話機なのが可愛らしい。

cn-phone-2002bしかし、なによりびっくりしたのが、これ。地下道にテーブルを置いて電話機を設置し、壁のジャックに電話線をつないでます。料金表も貼ってあるので、れっきとした公衆電話サービスなんだろうと思いますが、こんなのいいのかね。ちなみに、天安門広場の南西の端にある地下通路で見かけた光景です。

ともに2002年11月撮影。

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シンガポールの公衆電話

sg-phone-2002a2002年9月撮影。シンガポールの街角で見かけた公衆電話。これは、シンガポール・テレコムのライバル会社スター・ハブが設置したもの。

sg-phone-2002bこちらは設置会社は分からないけれど、データ・ポート付きの公衆電話。2002年9月にシンガポールに行ったら、空港に無料インターネット・コーナーがあって、「さすがIT立国(を目指す)シンガポール」と思ったものです。が、無料インターネットのための赤外線ポートまであった(つまり、Palmを接続できる)のに驚いた記憶があります。

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ラオスの公衆電話

la-phone-2002a2002年9月撮影。ビエンチャン市内で見かけた公衆電話。テレフォン・カード専用の模様。

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2005.11.25

フランスの公衆電話

今回、実はふたつの出張を組み合わせたので、成田→(シカゴ)→アトランタ→(パリ)→チュニス→パリ→アトランタ→(シカゴ)→成田という旅程でした。チケット的には、成田→アトランタの往復旅程の間に、アトランタ→チュニスの往復旅程を挟んだだけなのですが、地球を3分の2回ってから、そのルートを逆向きに回って日本に帰るという大層無駄な旅程でありました。さすがに疲れました。

一番単純なのは世界一周航空券でぐるっと回る旅程なのですが、今回それが使えなかったのにはふたつ理由がありました。一つは、前半と後半でお金の出所が違うということ。もう一つは、スターアライアンスの世界一周券で取れるルートだと予約が一杯だったことでした。

んなわけで、パリに寄ったので、お約束の公衆電話です。

IMG_1859 IMG_1798

IMG_1858

フランスと言えば、そのファッション・センスには目を見張るものがありますが(実際、今回立ち寄ってみて、フランス人ってオシャレだなーと思った)、こと公衆電話に限っては地味でした。

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ザ・ワールド・オブ・コカコーラ

IMG_1797この間アトランタに滞在したとき、パリ行きのフライトまで半日時間があったので、「ザ・ワールド・オブ・コカコーラ」というところに行ってみました。まあ要するにコカコーラ博物館ですな。ちなみに、写真の後ろに光る金色の丸屋根はジョージア州議事堂。

さて、コカコーラなんぞ1年に1回ぐらいしか口にしないわたくしが、この博物館に足を運んだのは、ただ時間が余っていたというだけではなくて、やはりご当地ものだったからです。わたくしのことを個人的に知っている人なら、わたくしが「ご当地もの」とか「縁」とかいうものに異常に執着ししていることをご存知でしょう。まあ、わたくしにとっては六曜みたいなもの。そういう指針がないと何事も決められないもので。

で、コカコーラはアトランタで生まれ、今も本社はアトランタにあるという、ジョージア州のまさに誇り。館内では、某という薬剤師がコカコーラの原料の配合を発明した19世紀の終わりから、世界に冠たる多国籍企業に成長した今日に到るまで、製品として、企業として、そしてブランドとしてのコカコーラがたどってきた歴史が、写真、ポスター、その他の展示物(例えば、開業当時のフラスコとか、専用クーラーボックスとか)を取り混ぜて説明されています。

福音派のキリスト教(禁酒・禁煙を尊ぶ)が強い南部という土地柄や、禁酒法前夜という時代がうまくノン・アルコール飲料としてのコカコーラの発展に結びついたのかなとも思うのだけど、そういう説明は残念ながらありませんでした。誰か知ってたら教えてください。

ところで、歴代のコカコーラの広告は、それぞれが当代きってのグラフィック・アートでもあるわけです。時代順に並べられたコカコーラの広告は、表現手法の移り変わりや、時代ごとにコカコーラに投影されたイメージをたどることもできます。わたくしは急いでたので見つけられなかったのですが、ノーマン・ロックウェルが広告の絵を描いたこともあるのだそうです。そういう意味では、この「ザ・ワールド・オブ・コカコーラ」、予想以上に面白かったのでした。

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WSISの思い出、もう一つ

時間が前後しますが、11月16日のWSIS初日、わたくしはoverpassをもらうという発想がすっかりなかったので議場内に入れず、議場外のモニターで中継されていた開会式の様子を見てました。最初にチュニジア大統領のゼイン・エル・アビディン・ベン・アリが演説をし、続いて国連事務総長のコフィ・アナンが演説をしました。その後、スイス連邦大統領、国際電気通信連合(ITU)の内海事務局長と続いたわけです。

そんなことにも気づかなかったのかと言われそうですが、議場外で見ていることの最大のデメリットは同時通訳がないことでした。冒頭いきなりベン・アリ大統領はアラビア語。コフィ・アナンは英語で演説したからいいとして、次のスイスの大統領はフランス語でした。ITUの内海事務局長は日本人英語なので、英語でないようなものかもしれませんが、アラビア語とフランス語でないだけ遥かにマシ。

ところで、アナンが「インターネットの管理は技術的な観点から行なわれるべきだ」とか、「国連は加盟国が合意したことしかできない」とか言っていたのですが、彼の発言が、PrepCom-3のどのような議論を反映したものなんだろうか、とか、どの国やどの勢力を牽制するものなんだろう(中国か?)と思わせるような意味深なものだったのに対して、内海事務局長の演説は何だか「ICTは素晴らしい」みたいなことばかりで、ちょっと淋しくなりました。

でもって、場内中継はなぜか途中で切れちゃったしね(その後、素晴らしい演説に発展してたらすみません)。政治的にはまったく問題ない発言だったと思うのですが。

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Software for Development: Is Free/Open Source Software the Answer?

チュニジアには旅行に行ったわけではなくて、WSISとその関連イベントのために行ったわけなので、もうひとつぐらいセッション参加の記録なども。

国連開発計画(UNDP)のアジア太平洋開発情報計画(APDIP)という組織が今回のチュニスでのサミットではいくつかのパネルやセッションを主催しました(考えてみれば、わたくしが発表したセッションもAPDIPがらみだったな)。その中に、Software for Development: Is Free/Open Source Software the Answer?というのがありました。最近、オープンソースソフトウェアやフリーソフトウェア(スノビッシュにはOSS/FSとかFLOSSとかFOSSとか略す由)がもてはやされすぎ気味なのがわたくし的には気がかりだったので、UNDPや開発経済の専門家の人たちがこの分野をどのように見ているかをのぞいてみようと、このパネル・セッションを傍聴したという次第。

そういう軽い動機で参加したこともあって、タイトルと主催者以外の情報を調べておらず、誰がパネリストなのかすら知らなかったのですが、実はこのセッション、Richard Stallmanが基調講演をすることになっていたのです。それもあってか、セッションは開けてみると大入り満員で、わたくしは席を取ることができず立ち見でした。ところが、立ち見できればいいほうで、わたくしの後ろのほうに立っていた人など、「後ろの出入り口付近の方は、前の出入り口の外から会場をご覧ください。こちらのほうがパネリストの表情がよく分かります」と言われ、追い出されてました。

Richard Stallmanの話は教条主義的で、言ってる内容もいつも同じだし、わざわざ聞く価値ないんだなあ、などと隣にいたフィリピン人の知り合いに話したら、近くにいた全然知らない人に「そうなんだよ!」と受けてた様子。Stallmanの評価が国際的に共通だったことが予期せぬ形で確認できました。しかも、当のStallmanはセッションが始まる前、「俺はこの会場の全員と話をするために来たんだ。個別に話しかけてくるな!」とか、「俺のアルミホイルを持ってこうとしてるやつは誰だ!」などと、ワケ分かんないことを口走ってるし。正直、「やだねー、筋金入りのギークは」と思ったものです。

ところが、さすがStallman、ただの変わり者ではなかったのです。実は会期中、会場に入るためには専用のIDカード(日立のμチップ内蔵)が必要だったのですが、彼はこれを銀紙でくるんでいたのです。曰く、「IDチップは俺たちの行動を追跡して、自由を奪うものなんだよ。だから俺はそれに抗議するために、IDカードをこうやってアルミホイルで巻いているんだ。俺と同じように自由が必要な人は言ってほしい。このアルミホイルを分けるから」と。

さて、つかみはよかったわけですが、話し始めるとしかしやはりStallman。案の定というか、彼は、ソフトウェアにおいて自由(freedom)がなぜ重要なのか、いつものように第一の自由から第四の自由に分けて説き始めました。第一の自由とは、ソフトウェアを動かす自由。第二の自由とは、ソースコードを見て、そのソフトウェアの動きを調べる自由。第三の自由とは、ソースコードを修正して、そのソフトウェアの動きを改変する自由。そして、第四の自由とは、そのソースコードを公表して、コミュニティの発展に貢献する自由というわけです。この辺は、いつものStallman節。聞いていた人の半分は飽きていたに違いありません。

ところで、このセッションのテーマは、"Is Free/Open Source Software the Answer?"だったわけですが、が、Stallmanは基調講演の締めくくりで、"Free and open source software is the only answer."だと言い切りました。商用ソフトウェア(ここでの商用はproprietaryの意味ね)を利用するためには、ライセンスなどの費用が必要ですが、これは開発途上国にとっては決して小さくありません。しかし、それ以上に重要なのは、開発途上国が商用ソフトウェアを使うということは、ソフトウェア・ベンダーへの過剰な依存を招くということだといいます。商用ソフトウェアを使うということは、ソフトウェアの改良やその他の修正をソフトウェア・ベンダーにすべて委ねるということであり、ソフトウェア・ベンダーの許可がなければ何もできないという依存状態を生み出すからです。

もちろん、これは、開発途上国に限られた問題ではありません。しかし、日本のように一定規模以上の経済力をもつ国であれば、市場規模を背景にソフトウェア・ベンダーとの関係はバランスの取れたものになることが期待できます。ところが、開発途上国は、商用ソフトウェアの動向を左右できるほど大きな市場の力をもちません。その結果、開発途上国はソフトウェア・ベンダーへの単純な依存を招き(しかも、ライセンス費用をむしり取られ)、バランスを取ることができないままその依存状態の中にロック・インされてしまうというわけです。Stallmanは、だからこそ、フリー・ソフトウェアやオープン・ソースソフトウェアは途上国の発展にとって不可欠なものなのだと締めくくりました。

実際、このようなロック・インから脱却するためにオープン・ソースを活用した事例もあります。例えば、タイでは、廉価な型落ち部品によるオリジナルブランドのPCを国内メーカーが組み立て、それにタイ語拡張を施したLinuxとOpenOfficeをバンドルして、「Low Cost PC」という製品を作り、250ドルという価格で売り出しました。これは、直接的にはこのような低価格のPCを供給して国内の情報リテラシーを向上させることを目的としたものでした。しかし、それは間接的な効果ももったと言われています。その後、マイクロソフトがそれに追随する形で、WindowsとOfficeの実質上の値下げに踏み切ったからです(この辺は、年内に出るはずの本に書きましたので、そちらをご覧あれ)。大きな市場規模を持たない国にとっては、このような力で商用ソフトウェア・ベンダーとのパワー・バランスを取ることも必要なのかもしれません。

しかし、さすがはStallman。いつもと同じ話のはずなのに、文脈が違うだけでこんなに素晴らしい話に聞こえてしまうのか、と脱帽しました。

ところで、セッションには、キーノート・スピーカーがもう一人と、コメント役のパネリストが4人いました。もう一人のキーノート・スピーカーがソフトウェアの特許と、製薬・バイオ産業向けの特許とが同じ仕組みであるのはよくないので分割すべきだという主張をしていたということと、CompTIAの広報担当副会長が異様な早口で統計データをまくしたて、「高い生産性を有する国はハードウェアだけでなくソフトウェア投資も積極的に行なっている(→だから、商用ソフトウェアにお金を使うということが重要なんだということか?)」と述べて会場内の顰蹙と失笑をかっていたということだけ付け加えておきましょう。あ、ちなみにモデレータはThe Economistの記者であるKen Cukierでした。

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2005.11.22

続・チュニジアの公衆電話

ここで、チュニジアにはpublitel(公衆電話屋)ばかりで街角の公衆電話がない、というようなことを書いたのですが、それはどうやら誤りであることが分かりました。

というのも、publitelをのぞき込んでみると、そこには公衆電話が設置されていたからなのです。インドネシアだと、wartelの電話は、一般の公衆電話とは違っていて、コインやカード式ではありません。受付で電話をかけたいというと、「じゃあ、〜番の電話機を使ってね」と言い渡され、電話をかけた後、受付で料金を精算するという仕掛けになっています。

しかし、チュニジアのpublitelはそういう仕掛けにはなっていません。店内にあるのは日本で言うところの公衆電話。じゃあ、受付のためにいるんだ、と思ったら、なんと両替係だったのです。電話機で使うための硬貨に両替してくれるために受付がいたのでした。

IMG_1852ということで、入ってみたpublitelの電話がこれ。「ソ連製なんじゃないの?」と思うぐらい年代物の電話機でした。でも、ちゃんと通話はできて、日本に国際電話もかけられました。

IMG_1855空港には、publitelではなくて、普通にブース式の公衆電話がおいてありました。

でも、publitelの正体については、どうも『地球の歩き方』にも書いてあったようです。帰りの飛行機の中で気づきました……

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2005.11.20

キリムを買う

IMG_1828この間結婚した職場の後輩S君のお祝いにトルコのキリムという織物をみんなで贈ったんだけど、その過程でキリムなるものについて調べているうちに自分でも似たようなものが欲しくなり、現在滞在中のチュニスの旧市街に出かけていって自分用に1枚買ってしまいました。しかし、400ディナールというものを300ディナールで買っても、何だか漂う敗北感。値切り交渉を半値より下から始められる図々しさがいまだに身に付きません。

ちなみに、キリムというのは、地中海沿岸で作られている織物のことらしいけど、今回買ったものが同じようにキリムとくくられるものなのかどうかは不明。写真は店の主人(か若旦那)。

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チュニジアの公衆電話

IMG_1819……それが、公衆電話を全然見かけないのです。写真のようなpublitel(公衆電話屋さん)はたくさんあるのに。たまたま今朝もらったチュニジア・テレコムの資料によると、2004年にはpublitelが10,245か所あることになっていて、taxiphone(多分その中に設置された電話機のこと)が36,383台あることになっています。が、いわゆる自動式公衆電話と思われる数字は載ってません。ってことは公衆電話はないのかもしれません。まあ、モンゴルやラオスにも公衆電話はなかったし、別に珍しいことでもないか。

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2005.11.18

没原稿

直前のエントリーで紹介したDigital Reviewの出版記念パネルの発表には、実は裏バージョンがありました。裏バージョンというか、没原稿が。そのまま眠らせるのもなんなので、これもやっぱりここに貼り付けときます。英語が変なところもあるけど、そのままで。

Building More Inclusive Information Societies in the Asia Pacific Keisuke Kamimura Center for Global Communications

What do we need to make information societies more inclusive? It is language that still makes a key to broaden the reach of information societies.

Let me begin with some historical analysis.

Language has been an important issue since the very beginning of the Internet, or information communications technology (ICT) in general. English has long been favoured in the uses and applications of ICT over other languages. If you look at the statistics on Internet users in the early 1990s, English speakers comprised of the majority of them. This is because the US and other English-speaking countries played major roles in science and technology, market was out there for them, and English has been the language of wider communications for decades.

Around the year 2000, things began to change. More languages have come to gain presence on the Internet. According to a recent estimate, English speakers are declining in ratio and they account for only a quarter of the Internet population today. A group of researchers recently reported that the languages of approximately 84 percent of the world population could be covered be computer operating system. Now, language does not seem to be a barrier any more in using the Internet and other forms of ICT.

Is this true?

My answer is 'no', or 'not yet'. I would like to add one more perspective to show it is still a long way to go.

For one thing, even though English may only account for a quarter of the Internet population and other languages gained more presence, there remains the yet-uncounted majority. For another, a rough calculation shows that 84 percent goes down to some 56 percent if you recount languages based on the criterion whether the user can interact with computer in their own language.

Another issue is the fairness and equity among languages supported by ICT. Today, nearly 50 languages are supported by major commercial computer operating systems. How were these languages selected. Are they selected because they are big languages? Then, why had Hindi and Benali not been supported until recently? You may want to argue their economy is not big enough. However, according to a survey on economic strength of language, Hindi is one of the ten biggest languages, and Bengali is the thirteenth language by the same standard. They are not small at all. Who governs this?

Now, what we need is a change in focus. Language in ICT has tended to be an issue of engineering, but now it is becoming an issue of policy, particularly, language policy. Software development and localisation has tended to be an issue of technology and business, but it turns out it is an outcome of interaction between technology, economics, public policy, and social agreement on what we think we need.

Language is still an issue to build more inclusive information societies in the asia pacific. It is not technology any more, but it is policy and social agreement that we need to make information societies more inclusive.

Thank you very much.

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Digital Review of the Asia Pacific

IMG_1814……という、アジア太平洋の国と地域の情報化の状況について記した要覧があるのですが(詳細はこの辺を参照)、その出版発表会が、16日に始まった世界情報社会サミット(WSIS)のパラレル・イベントとして開催されました。この要覧は、アジア太平洋の29の国と地域における情報化の状況を、産業、政策、技術、利用といった観点から記したものになってまして、日本の章は、同僚2名と一緒にわたくしが書きました。出版発表会では、国別の章の担当者のうち、WSISに居合わせた香港、インドネシア、日本、カンボジア、スリランカ、ネパールの担当者と、テーマ別の章の担当者のうちインターネット・ガバナンスの章を書いた担当者が短いプレゼンを行ない、わたくしも日本の章の担当者ということで発表しました。写真は、そのときの様子です(撮影: M君)。

発表の内容も散逸しないうちに貼り付けておきます。

Building More Inclusive Information Societies in the Asia Pacific: A Japanese Perspective

What do we need to make information societies more inclusive? By inclusive, I mean to include diversity of society. Let me share my thoughts and reflections on this topic from a Japanese perspective.

Nearly a year ago, the Ministry of Internal Affairs and Communications of the Government of Japan published a new policy document on u-Japan, meaning ubiquitous Japan. 'Ubiquitous' here obviously stands for ubiquitous network. Now that Japan, among other countries, has almost completed a nation wide broadband infrastructure, the document tries to take care of various issues beyond network infrastructure and access. Our focus moved from infrastructure and access to content and to users now.

One of such issues I would like to raise here is user-oriented-ness. This is also the point that was made in the Civil Society Panel in the Tokyo Ubiquitous Network Conference that was held in Tokyo earlier this year.

Network may be built ubiquitous. But the information which it carries may not. At least it is not ubiquitously the same across users. Every user has their own needs, preferences and constraints. Therefore, we need to provide appropriate audience with appropriate information by an appropriate means.

Japan tends to be viewed as a homogeneous country. But that is not true. In Japan, the communities of non-Japanese residents are growing. Koreans are known to be one of the biggest minority groups in Japan, but recently, immigrants of other ethnic origin are also growing. Descendants of Japanese from Latin America are also coming back to Japan to stay and work. Even without them, we are, of course diverse in terms of gender, age, economic affordability and disability.

Inclusive information societies need to address this diversity in full. And we need to make sure our effort does not come short and superficial.

I would like to share the lesson learned from the Kobe Earthquake in 1995, which shows that inclusiveness suddenly falls apart once a major incident or disaster occurs. In the aftermath many non-Japanese residents were left out from information, because there were no suitable channel to deliver information for them. One of the reasons was language. And many of you may remember the natural disasters around the world for the last twelve months.

What I have described may be an extreme example, but the point is that inclusiveness is a very fragile notion, which you may not notice until something happens.

Inclusive information societies should be based on the inclusion and accommodation of diversity. You have to be aware of the unfilled gaps and unmet needs which diversity may raise. We need to have our societies inclusive before attempting to make information societies inclusive.

ところで、チュニスのホテル。その後色々あって、今、この瞬間はチュニス市内でも多分もっとも高級なホテルであるSheraton Tunisに滞在しています。1泊320ユーロ也。昨日は一日20ディナール(約1,600円)という安宿に泊まってました。シェラトンの28分の1の値段です。あまりの変貌ぶりに体がついていけなさそう。

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2005.11.14

しっかりしろ。>hotels.com

現在滞在中のアトランタから、世界情報社会サミット(WSIS)に出席するためこのままチュニスに行く予定、というのは、この前のエントリーに書きましたが、そのチュニスの宿泊で問題発生。

ずい分前から、チュニスのホテルはどこもWSIS用の賓客や関係者向けにブロックされていて、予約が全然入らないというのは聞いていたのですが、hotels.comで調べると「空き」があるらしいよ、と同僚から教えられ、そこに予約をしてみたところ、すんなり予約が入ったのでした。hotels.comには、クレジット・カードで前払いし、confirmationも来たのでした。それが10月の終わりごろ。

ところが、昨日になって、hotels.comを通じて取った予約がキャンセルされたというメールがやってきました。こっちは明日チュニスに向かうというのに。

Dear Valued Customer, Unfortunately, the reservations that you have booked are not available. We apologize for any inconvenience this has caused you. We would like to relocate you to another property at no additional charge. Please take a look at our web site. Please decide which hotel you would like to be relocated to that is comparable to what you had originally booked. Should you prefer to cancel without fee, your money will be refunded to your credit card within 7-10 business days. Please contact us as soon as possible regarding this matter. Any of our agents can assist you. We may be reached at our toll free phone line at 1-866-430-4981.

こりゃいかんと思って、hotels.comのサイトで代わりのホテルを探してみるものの、どうも空いているところが見つからない。知らんぷりして「このホテルが空いていたら、予約を入れてください」なんてメールを出してみるけれど、当然、返事がすぐに来るわけありません。こういうときにメールでやっててもラチがあかないので、指定された番号に電話をしてみました。たまたまアメリカにいたのでアメリカのフリー・ダイアル番号が使えたことだけが唯一ラッキーだったかも。

で、hotels.comの担当者に調べてもらったものの、予約したはずのホテルの近くや、チュニス市内のホテルはどこも一杯の様子。こっちもチュニジアの地理なんて分からないけれど、相手も100kmも200kmも離れたところのホテルなら空いてるよ、なんて言ってくる。それじゃ駄目なのよ。

むっときたので、「何で今頃になってこんなことになったのか、あんたらがconfirmationなんて送ってこなければ、こっちだって別の手を考えられたはずなのに、どうしてくれる」と詰め寄ると、「大変申し訳ありませんでした。予約時にお支払いいただいた宿泊料は全額お返しいたします。また、お客様がご自分でホテルをお探しになり、そのホテルに宿泊された場合には、今回の不手際の迷惑料として最高400ドルまでお支払いします」などと言ってきました。こっちとしては迷惑料が欲しいのではなくて、宿泊できるところが欲しいわけなので、この後に及んでそんなこと言われても困るって。

ただ、こんな状況でhotels.comに話してもラチがあかないと思ったので、迷惑料の話だけ承って電話を切りました。その後何軒かホテルに電話しても早朝だったこともあって担当者が不在だったり、英語が分からなかったりでどうにもなりません。二外でフラ語をやっときゃよかったと思ったのは、思い出せる限り、新婚旅行でタヒチに行ったとき以来(チュニジアはフランス語が結構通じる)。

で、代理店とか代替のホテルばかり相手にしてても仕方ないことに思い至り、予約したはずのホテルに直接電話してみました。hotels.com経由で入れた予約がキャンセルされてしまったということを伝えたところ、「存じ上げております。大変申し訳ありませんが、系列の別のホテルをご案内しますので、メールでご連絡ください」とのこと。結局代わりのホテルというところも一杯でしたが、ここは、メールした後ですぐに折り返し携帯に電話をくれたので、役には立たなかったけれど、フォローするという姿勢は見せてくれたところはさすが五つ星というべきか。

ところで、ものはついで、と、「なんでこんなことになったのか。俺の予約はちゃんと入っていたのか。それともhotels.comが取れていない予約を取れたと報告してきたのか」と聞いてみたところ、どうやらこのホテルとhotels.comの間に別の代理店があるらしく、その代理店が、予約が確定できなかったのにもかかわらずhotels.comに返事をしたか、あるいは予約はしたけれど、その後勝手に予約をキャンセルしたらしいことが分かりました。邪推だけど、主催国であるチュニジア政府が、ホテルが足りなくなったのに焦って、直前になってWSISの宿泊客向けの追加ブロックを指示したりしたんじゃないだろうか。でも、こっちだって、WSISの参加者なんだしさ。そんな勝手なことされたら困るって。

ここまで来たら現地入りしてからホテルを探したほうが早いか、とも思ったのですが、やっぱりそれは不安なので、グレードの低いローカルのホテルなら空いているだろうと、今回出発するときに珍しく買っておいた『地球の歩き方』に載っていたホテルのうち三つ星以下のホテルに片っ端から電話をかけました。テレフォン・アポインターの人ってこんな気分なのかしら、などと思いながら。

10軒ぐらいのホテルに電話をかけたところ、三つ星、二つ星は全滅でした。うち何軒かは英語を話す人がいなかったので詳細は不明ですが、まあ、わたくしが予約を入れられないことに変わりはありません。結局、ようやく一つ星のホテルに空きを見付け、とりあえずそこに予約を入れることができ、一応、一件落着だけど、行ってみるまではどうなることやら。

チュニジアと言えば、5月に新宿で開催された東京ユビキタス会議の手伝いをしたとき、チュニジア大使館から「我が国から視覚障害をもつ参加者が来るので、成田とホテルの往復にアテンドを付けてくれ」と、会議直前の金曜日になって言われたことがあったことを思い出しました。あのときゃ、成田まで迎えにいく人を手配して、ホテルも会場と同じところに変更して、帰りも朝早くホテルまで迎えにいって、チェック・アウトの手伝いをして、リムジンバスに案内したりまでしたのにね。

っていうか、今回一番悪いのはhotels.comだけどさ。しっかりしとくれ。

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2005.11.12

クランベリージュース

IMG_1791心の中では今年最後の出張にするぞと決心してアトランタまでやってきました。「最後の出張」といっても、この後、チュニジアの首都チュニスで開かれる世界情報社会サミット(WSIS)にも足を伸ばすので、最後の2回のうちの1回というべきかもしれません(ちなみに、12月に多分もう1回出張してくれと声がかかるんだけど、これ以上休講を出すわけにいかないので、行けません。ごめんなさい。)

これまでアメリカには個人的に縁もゆかりもないから、と、心理的に距離を感じていた(遠ざけていた)のですが、よくよく考えたら、大学で日本語教育を学ぼうと決めたきっかけは、あるアメリカ人牧師と高校時代に出会ったことだったわけだし、やはり、そのことがやはりきっかけになって数年後キリスト教の洗礼まで受けたわけだし、アメリカと縁が浅いはずはないのです。でも、そういうことがあっても、大人になってからは接点という接点もなく、わたくしにとってアメリカとはずーっと遠い存在のままでした。

ところで、そんなわたくしにも、最近はアメリカでのお気に入りがあって、それは何かというとクランベリージュース(日本だとあまり見かけない)です。初めて飲んだときは、「何じゃこりゃ」と思ったものですが、慣れてみると癖になる味なのです。典型的なジュース類とのギャップを例えるとしたら、梅ジュースとか、しそジュースでしょうか。

そのクランベリージュースを、今回もまたトランジットで寄ったシカゴの空港で何気なく買って飲んだのですが、その時、ふと、これまで遠い存在だったアメリカが急に近づいてきたような気がしたのでした。ようやく今の自分にとっての接点が見えてきたというか。クランベリージュースのおかげで、過去の記憶と現在の思いがつながったような気がしました。

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2005.11.07

アメリカ(東海岸)の公衆電話

us-phoneこれは多分1999年頃にボストンに行ったときに撮った写真。今はベライゾンになってしまっているけれど、このときはまだベル・アトランティックだった気がします(調べりゃわかるか)。

us-phonepollこちらは、ボストン市内から程近いハーバード・スクウェアで見かけた公衆電話。オランダで見かけたのと似てはいるけれど、あっちのほうが全然おしゃれです。わざと地味にしているのはvandalism対策かな。

us-phone-attお次は、これまた近く消滅する(した?)AT&Tのマルチメディア対応電話機。って言っても使ったことないので何ができるのかは今からでは分かりません。モデム用のデータ・ポートも付いてました。

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インドネシアの公衆電話

今週はこんなことしてる場合じゃないぐらい締め切りやら何やらに追われているんですが、気晴らしに、バックログを吐いてみます。

ということで、今回はインドネシアの公衆電話と電話屋さん。

id-phone2004年の6月に行ったインドネシアはバンドンで見かけた公衆電話です。ずい分くたびれてます。本当につながるんだろうか。っていうか、見たところ、この電話はコイン式だけど、インドネシアではそもそもコインなんてほとんど流通してないのではなかったか。

wartelこちらは、公衆電話屋さん2点。インドネシアでは、こういう公衆電話屋さんのことをWartelと呼びます。WartelとはWarung Telpon(電話屋台)の意。インターネット・カフェは、Warnetなどと呼ばれています。しばらく前にインドネシアのIP電話のことを調べたとき、インドネシアではWarnetのIP電話は違法(許認可制)だったのですが、最近はどうなんでしょうか。確か、家人にここから電話をした記憶が。

kios-phonこちらはKios Phon(電話キオスク)。写真を撮ったのが早朝だったので、上のWartelもこのKios Phonも閉まってました。

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2005.11.02

三島由紀夫

カテゴリーは「日記・コラム・つぶやき」なんだけど、気分的にはつぶやきというより「ためいき」かも。

10月号のJALの機内誌に載っていたドナルド・キーンのインタビュー記事を読んでいたら、彼が「天才と呼ばれる人は少なくないが、わたしは三島由紀夫こそが本当の天才だったと思う」と述懐している下りが目に留まりました。理由はいくつか挙げられていたと思うのですが、三島は小説を一度書いたら決して直さなかったのだそうです。もちろん、彼は事前に綿密なメモを作成して構想を練ったと言いますが、それほど完成度の高い研ぎすまされた文章を彼が書いたということに衝撃を受けました。

恥ずかしながらわたくしも文章を書くことを生業の一部にしてはいます。でも、わたくしの場合、書いては直し書いては直しの繰り返し。この記事を読んで気づいたのは、わたくしが文章を書くときにやっていることと言えば、最初の段階ではとりあえず思いつくままにアイデアや要素を書きなぐり、それを後からつなぎ合わせるということ。だからドラフト段階では全然文章になってません。そういうやり方がいいと思ってやっているわけではもちろんないのですが、何と非効率的なことをやっているのだろうかと、この記事を読んでからは自らの不明を恥じるばかり。

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2005.11.01

タヒチの公衆電話

tahiti-phone-01タヒチへ行ったのはもう5年前のこと。今ではどうなっているか分かりませんが、当時はこんな公衆電話がありました。

tahiti-phone-02タヒチは政治的には仏領ポリネシアなので、当時は電話もフランス・テレコムが設置してましたが、最近はタヒチ・ヌイ・テレコムという子会社に業務が移管された模様。

tahiti-phone-03これも公衆電話といえば公衆電話。ただし、テレフォンカードや硬貨で通話料金を使うのではなくて、利用した分のお金をカウンターで払うという仕組みになっています。東南アジアなんかでは結構こういう電話屋さんがたくさんあります。オランダでも、初めて行った1998年にはそういう電話屋さんを見かけた気がします(が最近は知らない)。

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