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2007.03.25

intel MacBookとFKB-8579-661とWindows XP Home Edition

別段驚くことではありませんが、intel MacBookでWindows XP Homeを使っている場合も、FKB-8579-661(USBの親指シフトキーボード)が動きます。ただし、親指シフト入力を可能にするためのドライバやユーティリティは他の組み合わせで使う場合と同様に必要です。これまでずーっと使ってきた親指ひゅんQはXPではアプリケーションによって使えない(ということは、使えるものもある)ので、わたくしはあれこれ考えた末、Japanist 2003を使うことにしました。こういうときに富士通製品を応援せずにどうすんだ、という気分で。

このせいか、わたくしのMacBookはMacOS Xで動作している時間よりも、Windows XPで動作している時間のほうが長くなってしまいましたが。

お悩みの方は、お試しを。

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PASMOを(まだ)使わない六つの、もとい、七つの理由

わたくし、通勤には東京メトロを使ってます。自宅最寄り駅から、職場の最寄り駅までずっと地下です。外の景色が見えなくて息苦しかったり、駅と駅の間で携帯が入らないといったことを気にする向きもあるのでしょうが、息苦しさは慣れましたし、携帯も電車の中では使いません。むしろ、駅も地下なので、電車を待っている間に風雨にさらされることないのが気に入ってます。大雨や猛暑の日とか、真冬の木枯らしが吹きさらす日に地上駅で電車を待つと思うとぞっとします。実際、たまにそうせざるを得ないときはとてもうんざりします。

それはそうと、3月18日に始まったPASMO、わたくしまだ使ってません。なぜかというと……

  • 携帯で使えない。
    モバイルSuicaを使っているわたくしとしては、是非携帯のICカード内にPASMOを入れたいところなのですが、それは当分先の模様。かといって、携帯SuicaとPASMO定期の二つを併用するというのは、乗り継ぎすることを考えると意味がなさそうです。定期券区間外で乗って、定期券区間内で降りる、なんてとき、磁気券なら定期とパスネットの2枚入れというのが可能ですが、携帯Suicaで乗って、PASMO定期で降りるってのはできないとのこと。だったらと、PASMO定期側にチャージして、それで乗っちゃうと、わざわざVIEWカードまで作って使えるようにした携帯Suicaがいらなくなっちゃうし。こちらを立てればあちらが立たず、みたいな典型です。
  • 利用履歴が確認できない。
    これも専用のリーダを買ったり、駅に行ったりすればいいのかもしれません。でも、専用モノは世の常としてMacintoshだと使えことが多いし、駅に行って確認するのもメンドくさい。携帯Suicaのよいところは、読み取り・書き込みのための装置とICカードが一体化してるところなので、それに慣れてしまうと、今さらブラックボックスのICカードってどうなのかと思う。オートチャージはその問題の一部を解決するものでしょうが、そもそも、財布に空いた穴からお金が漏れていく、みたいな使い方にみんな慣れてしまっていいんですか?
  • ICカードをあまり増やしたくない。
    すでにANAとJALのマイレージカードがICカードだし、携帯Suica用に作ったクレジットカードもあるし。別のクレジットカードにもICカード入ってるし。住基ネットカードもICカードだし。ICカードは重ねてタッチするとエラーになりますが、携帯ICカードのエラいところは、複数のカードを重ねてタッチしているようなものなのに、その場に応じたカードとして認識されること。これって、携帯PASMOが出来たらどうなるのでしょう。SuicaとPASMOのどっちを優先させることになるのか、それとも排他的に片方しか登録できないようになっちゃうのかな。
  • あのロボットのキャラクターが可愛くない。
  • 開始当日、定期を切り替えようとしたが、あまりの行列の長さにウンザリして諦めた(それで今日に至る)。
  • この際だから、磁気定期券が廃止されるまで粘ってみようと思い始めた。
  • JR西日本でも使えない(らしい)。

最後のほうは言いがかりみたいなもんですね。

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2007.03.17

プロの技

六本木の芋洗坂を下り、途中の路地を入ってすぐのところに、「味覺」という天ぷらの店がある。その路地をもう少し行くと、母方の菩提寺があるので、その店のことが墓参の時にいつも気になっていた。そこに、ふと思い立ってこの間入ってみた。実は、店先の雰囲気からその店はあまり繁盛していないようだとわたくしは勝手に想像していた。だから、そんな店があの界隈で続けていけるというのはどういうことなのだろうかという興味があって、それでの店に入ってみようと思ったわけだ。

ところが、わたくしが行ったその日は、昼時のピークをちょっと過ぎたあたりだったにもかかわらず、しかも入れ替わり客がやってきて、店内は「ほぼ」満席。「ほぼ」というのは、客がひっきりなしに入る割には、どこかしら席が空いていて、たまたまなのかもしれないが、すぐに座れないということがなかったからだ。そもそも空きを待つ人の列ができるほどなら、わたくしが「あまり繁盛していない」などという失礼な想像をすることもなかったに違いない。

この「ほぼ」満席というのは、わたくし的には重要なポイントで、行列ができるほど客が入ると、行きたいときに行けないし、席が空きすぎている店は味か値段のどちらかに問題があるということなので、わざわざ行こうという気にならない。それに比べると、「ほぼ」満席というのは、味と値段、それから人気が程よく釣り合っているということだ。

店に入り、カウンター席で注文ができるのを待っている間、天ぷらを揚げている店主の姿が目に入るとなく入ってきた。そして気がつくと、店主の手際の良さにしばらく見とれていた。長年天ぷらを揚げているから当然なのかもしれないが、やはり何であれ長く続けることでしか培われない技や芸に接するのは気分がいい。自分ができないことを事もなげにやってみせたり、自分が知らないことを知っていたり、自分にはできない気遣いがあったり、そういうことの積み重ねからプロや専門家に対する安心感や信頼感が生まれるのだと思う。

実は、職人技とか職人芸というものとは無縁に見える仕事をしている場合でも、自分にしかできないこと、自分しか知らないこと、自分しか気づかないこと、というのはあるはずで、そういう意味ではわたくしたちは皆プロであり、専門家であるはずだ。自分の姿が人にどう見られているか、ということに常に敏感でいたいものだ。

店の感じも、天ぷらの味も、値段も程よく釣り合っていたのだが、そこはさすが「ほぼ」満席の店。こんなことを考えてもまだ暇があるぐらい注文の品が出てくるまでに時間がかかってしまった。まあ、それも揚げたての天ぷらを出す以上しかたのないことで、そういうのも含めてよい店だったということか。

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