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2012.08.23

2012年夏、番外編:モスクワ(8月20日)

早くも2泊でヤルタを後にし、モスクワ経由で日本へ。再び80kmの道のりをぶっ飛ばし、シンフェロポリへ向かいます。帰りは乗り継ぎに時刻表上6時間あったので、モスクワ市内をピンポンダッシュさながらの超特急観光(そのつもりでトランジットビザも取っておいた)。何とか、赤の広場とワシーリー寺院だけ観て、足早に空港へ戻りました。初モスクワはあまりに慌ただしかった。

レーニン廟

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工事資材が積まれているのは、貼ってあったポスターから判断するに9月1日からの国際軍楽隊フェスティバルとやらの準備のための模様。レーニン廟の改修工事とか撤去工事ではありません。

ワシーリー寺院(ほとんどアリバイ程度にしか観ていない)

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始めてアエロフロートに乗ったときは、モスクワから関空(まだ関空便があった頃)到着が遅れて、しかも荷物が出てこなくて、ロストとか別送の手続きをしてたら、羽田便に乗り遅れそうになったり、後日自宅に届いたスーツケースが破損してたり、と色々ありましたが、今回はそういうトラブルも一切なし。シェレメチエボ空港といい、アエロフロートといい、最近のロシアの発展ぶりを見るようです。

帰国後、書棚にジョン・スタインベックがロバート・キャパと一緒に当時のソ連を訪問した時の旅行記『A Russian Journal』があるのを思い出し、ウクライナのところを再読。スタインベックとキャパに親交があったことを知るのも面白いし、ウィットの聞いたスタインベックの文章を通じて、茶目っ気たっぷりのキャパの性格が伝わってきたりするのも楽しい。キャパのポートレートもよいです。

ウクライナの農村で、夫を2度亡くしたという婦人に向かってキャパが「じゃあ、次はぼくと結婚しますか?」と聞いていますが、その後の彼の運命を思うと切なくなります。もっとも、その婦人は「神様が人をお造りになる前にキュウリにでも相談なさっときゃ、世の中の女がこんな不幸な目には遭わなかっただろうにね」と軽口で答えてます。いや、ホント、そうだったかもしれません。

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2012年夏、ウクライナ紀行(その6):ヤルタ2日目(8月19日)

ヤルタは今回の旅のハイライト。ヤルタ市外の見所であるリバーディア宮殿、アループカ宮殿、燕の巣をお得に束ねた3点セットの日帰りツアーがあったので、それに参加することに(210グリブナ/人)。このツアーは、ロシア人のロシア人によるロシア人のためのツアーだったので、当然というか外国人は我々のみ。他の参加者からは「何だこの東洋人たち」と思われたことでありましょう。

さて、ヤルタと言えばヤルタ会談。第二次大戦中の連合国首脳が戦後処理を話し合った、このツアーでも立ち寄ったリバーディア宮殿でのことでありました。しかし、このツアー、リバーディアの中には入らなかったのです。残念。やはり枢軸国の人間は入れてもらえないのだと自分に言い聞かせるも、何とも残念なことでありました。

リバーディア宮殿

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アループカ宮殿の池にいた白鳥

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日本語的には池なのですが、ガイドは繰り返しозеро(湖)と言っていました。湖に浮かぶ白鳥とくれば、嘘のようなホントの話で『白鳥の湖』の旋律を口ずさむ方もおりました。アループカ宮殿の見物を終えて、あと少しでバスに乗ろうかというタイミングでまた豪雨。夏だからなのか、ヤルタだからなのか、クリミア半島だからなのか分かりませんが、ヤルタ滞在の2日間で2回も豪雨に見舞われ、ずぶ濡れになりました。

燕の巣

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今回、ヤルタでも、オデッサでも、キエフでも日本人にはまったく遭遇しませんでした。唯一見かけたのが、この日の晩にヤルタのチェーホフ記念劇場で観たバレエ(これも白鳥の湖でした)に出演ていたバレリーナの方。パンフレットを見ると、イシカワ・チサトさんという名前があったので、きっとこの方でしょう。ロシア人、ウクライナ人のお人形さんみたいなお嬢さんたちに混じってバレリーナをやり続けるのは相当なご苦労もあることでしょう。今後のご活躍に期待します。

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2012年夏、ウクライナ紀行(その5):ヤルタ(8月18日)

オデッサ駅を出発して12時間余り、昼過ぎにシンフェロポリ駅に到着。ここからヤルタへは、中央分離帯もなければ信号もほとんどない80kmほどの一般道を自動車で移動しました。トロリーバスやポンコツ車を最高時速130kmぐらいでびゅんびゅん追い抜き、2時間ほどでようやくヤルタに到着です。事故が心配な人は、運転手にゆっくり行くようお願いするか(でも、言うこと聞いてくれないかも)、トロリーバスに乗ってのんびり行くことをお勧めしマス。

行く前にチェーホフの「犬を連れた奥さん」をわざわざ読んでいったのですが(映画の『子犬を連れた貴婦人』は学生時代に観た)、当時こんな距離を馬車とかで移動していくのはさぞかしご苦労だったことでしょう。海岸通りには「犬を連れた奥さん」に描かれる奥さんことアンナ・セルゲーヴナと、その不倫相手のドミートリイ・ドミートリチの像がありました。まあ、日本でいうと「金色夜叉」の貫一お宮ってところでしょうか。話の筋はずいぶん違うけど。

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着いてそのチェーホフの家(を博物館にした施設)へ。肺を患ったチェーホフが療養を兼ねて滞在した家が博物館になったもの。食堂やら書斎やら客間などを眺めていると、外では雨が降り始め、あっという間に最近の日本のゲリラ豪雨も真っ青なほどの大雨に。ヤルタの街は、神戸のような地形で、街の裏手にはけっこう急な山が迫っていて、その中腹にチェーホフの家やらサナトリウムやら民家が立ち並んでいます。その隙間を轟々と流れる雨水で道路はあちこちで冠水、というか、川になってました。しかし、帰りのマルシュルートカの運転手はその冠水する急な坂を物ともせず運転し、しかも運転中、左手でハンドルを握りながら、右手で乗客から料金を受け取りお釣りを渡す強者でした。ちなみに、豪雨は2時間ぐらいで収まり、それまでの雨が嘘のような晴れ間も出現しました。

大雨になって出て行く雨宿り。

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2012年夏、ウクライナ紀行(その4):日中オデッサ、夜列車(8月17日)

昼間はオデッサめぐり。沿岸クルーズ船に乗ってみるが、何時に出発するとかどこにも書いてません。客がある程度乗船したら出発ということなのかもしれませんが、そのわりには出航が近くなると「あと8分で出発します」、「あと7分で出発します」、あと「1分です」など妙に細かいカウントダウンをしていたのが奇妙でした。何というか、妙なところに律儀というか。

呼び込み文句では所要時間40分と言ってますが、実際にはもう少しかかります。しかし、沿岸クルーズというのに何の観光案内も何もなし。桟橋を出発して、沿岸を眺めて、桟橋に戻る、だけ。もっとも、そこまでロシア語が分かるわけでもないので実害もなし。

夜に、夜行列車でクリミア半島随一の保養地ヤルタ、への玄関口であるシンフェロポリへ出発。携えていったiPadでチェブラーシュカの「青い列車」の歌を繰り返し聞いて気分を盛り上げます。

写真はコンパートメントの風景。2人個室を取りました。

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2012年夏、ウクライナ紀行(その3):午前キエフ、午後オデッサ(8月16日)

この日は午前中、飛行機の時間までささっとキエフ市内を散策し、午後は空路黒海を望む港町オデッサへ。オデッサ空港から市内へは、まとわりつく白タクの運転手を振り切り、マルシュルートカで2.5グリブナ/人。キエフのホテルで空港までの車を頼んだら350グリブナと言われたので、その格差100倍でした。

写真は正面から見たオデッサ駅。

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オデッサと言えばこれでしょう、というぐらい有名なポチョムキンの階段。

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この階段を伝わって港に行けるのかと思いきや、階段と港の間には結構交通量の多い道路があり、しかも歩道と車道をガード柵が隔ててます。

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2012年夏、ウクライナ紀行(その2):キエフ市内めぐり(8月15日)

この日は終日キエフ散策。ペチェールスカ修道院、黄金門(いわゆる「キエフの大門」)などを見て回る。ムソルグスキーが「キエフの大門」を作曲したのは、この黄金門を描いた絵画にインスピレーションを受けてのことだそうだが、仮にこの再建した大門を観たとしても、やはり彼はインスピレーションを受けただろうかとしばし悩む。

ドニエプル川からのキエフ(多分新市街)の眺望

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世界遺産ペチェールスカ修道院(内の聖堂)。

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ペチェールスカ修道院の参道(みたいな小道)沿いの土産物店……と思いきや、これ全部ハチミツを売る屋台。その後、あちこちでハチミツを商う商店やら屋台を見かけたので、そういうものなのか

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ペチュールスカ修道院の南側には「母なる祖国像」なる巨大なモニュメントがある(その台座部分は大祖国戦争博物館)。森本忠夫・江南和幸・杉森康二『MADE IN RUSSIA―ロシアは何をつくったか』(草思社、1997年)でその存在を知ってからというもの、いつか自分で目にしたいと思っていた像にこの日ついに対面し、感無量。ちなみにその本では、西側諸国で日用品に使われているステンレスが旧ソ連では高級素材で、しかしそのステンレスを市民生活に回さず/回せずに、こんな巨大なものつくってしまって何たる無駄か、いやそういう巨物信仰が良しにつけ悪しきに着けソ連(ロシア)の科学・技術の根底にあるのだ、と書かれています。

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2012年夏、ウクライナ紀行(その1):成田発、モスクワ経由、キエフ着(8月14日)

アエロフロート261便(SU261)で成田を出発し、モスクワ・シェレメチエボ空港でアエロフロート1802便(SU1802)に乗り継ぎ、キエフへ。モスクワでのトランジットが4時間強。到着したのは数年前に供用開始したらしい新しいターミナルDで、その垢抜けぶりに驚嘆しましたが、キエフ行きが発着するターミナルF(旧第2ターミナル)は、内部こそかなり変わっているものの、相変わらずの雰囲気(暗い、狭い)に安堵。しかし、モスクワ乗り継ぎの代名詞とも言えるシェレメチエボ第2ターミナルが「ターミナルF」などと改称されているのにはちょっと寂しい気も。ターミナルビルの上部に掲出された「F」の文字が何とも座りが悪く見えます。いや、これも懐古的なだけでしょう。きっと。

この日は写真なし。

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2012年夏、ウクライナ紀行(その0)

8月14日から8月21日、お盆の休みを利用してウクライナはキエフ、オデッサ、ヤルタ(あと、帰りトランジットで立ち寄ったモスクワも)を旅行してまいりました。ヤルタと言えば、あのチェブラーシカとゲーナまで休暇で出かけた(しかし、シャパクリャーク婆さんのいたずらで結局行けない)帝政ロシア時代からの保養地です。今回の旅行、そのヤルタが本命だったのですが、そこまで行くならオデッサにも、それから旅程の都合で何となくキエフも寄ったような次第でありました。

↓こんな旅程。

  • 8月14日(火)成田発。モスクワ経由でキエフ着。キエフ泊
  • 8月15日(水)終日キエフ散策。キエフ泊
  • 8月16日(木)午前中キエフ散策、午後オデッサへ。オデッサ市内散策。オデッサ泊
  • 8月17日(金)オデッサ市内&郊外めぐり。寝台列車泊
  • 8月18日(土)昼前にシンフェロポリ到着の後、車でヤルタへ移動。ヤルタ市街散策。ヤルタ泊
  • 8月19日(日)終日ヤルタ名所巡り。ヤルタ泊
  • 8月20日(月)早朝車でシンフェロポリへ移動し、空路モスクワへ。接続便の待ち時間を利用して超短時間モスクワ観光。機内泊
  • 8月21日(火)成田着

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2012.08.22

ウクライナの公衆電話

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8月14日から21日まで旅行でキエフ、オデッサ、ヤルタに出かけてきました。その道中で撮ったウクライナの公衆電話。街中でよく見かけたのは青い小型のカード専用(らしき)公衆電話機ですが、前の型かと思われる硬貨・カード兼用の金属ボディーのタイプもそこここに。

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