2010.02.26

ぶたビーーーーム

201002261233001_2通勤途中に見つけた「ぶたビーム」。尾張英之介さんという方の作品展が六本木の芋洗坂下のギャラリーで開催中なのを通りすがりに見つけました。殺伐とした毎日にこんなゆるキャラがいるとちょっとほっとするかも。あ、でもビームを発射されたら焼け野原になるか。

ところで、「一口坂」と書いて「いもあらいざか」と読む地名が麹町にあるんですね。最近知りました。

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2004.10.08

若旦那のお座敷入門……

……というブログを大学時代の友人が始めたそうで、彼の消息を久しぶりに聞いた気がしました。そう言えば、昔(Google!なんてまだまだなくて、検索と言えばlycosとかexciteとかAltaVistaとかだったころ)、職場の人が、たまたま検索して見つけたホームページがきっかけになって、知り合いと久しぶりに連絡を取り合えるようになった、とか興奮気味に話してくれたのを思い出します。

さて、トラックバック先のエントリーは、題して「若旦那のお茶日記 その1」。そうなんだ、炭の火って湿度とか温度で消えちゃうんだ。炭や薪を使うのは、夏場の晴れた日にするバーベキューの時ぐらいで、そういうときは「これでもか」ってぐらいに強い火を使うから、炭の火が消えちゃうだなんて考えたこともありませんでした。

さすが、若旦那というか、彼のセンスと効いていて、なかなかよろしいかと。

かんばってね>メグちゃん

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2004.01.08

Siren Mole Revisited

Patricia Piccininiの展覧会が開かれているのですね。しかも、ひと月も前からやってるではないですか(今朝新聞見て知った)。2002年の8月にシドニーのロックスにある現代美術館でやっていた個展で初めて(というか、実は最初で最後なんだけど)彼女の作品を見て、そのとき展示されていたSiren Moleという肉塊然とした動物オブジェがもつ存在感に圧倒されて以来、彼女の作品がもつ存在感って何なんだろうとずっと考えてました。

その存在感は、使っている材質とか、オブジェとしての形状とか、そういうことだけではなくって(確かにすごくリアルな質感だったし、どこかにいそうな、あるいは将来的に遺伝子操作で創造できそうな形状ではあったのだけれど)、ヒトが自分たちをヒトと思うときと同じまなざしを彼女の作品には向けてしまう(意識するしないに関わらず)、ということなんじゃないかと思います。

↓ということを去年書いたときのエントリ(以前別のブログに書いたものなので、日付けがココログサービス開始以前になっている)
http://kk.cocolog-nifty.com/misc/2002/12/siren_mole.html

ところで、彼女の名前は「ピッチニーニ」なのですね。イタリア系だから、そう読むのは不自然ではないけれど、英語訛りに「ピシニーニ」と読むのかと思ってた。

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2002.12.26

Siren Mole

この夏、仕事で行ったシドニーで1日だけあったフリーの日に、ロックスの Museum of Contemporary Artに行きました。何となく行っただけなのですが、Patricia Piccininiという人の特別展で展示されていたヘンな架空の生き物であるExallocephalla Parthenopaの展示に感動したので、今さらながら紹介します。

想像上の生き物をでっち上げて模型を作るということ自体は、芸術活動の中でよくあることだろうと思いますが、彼女は生物学などの専門家に聞き取りをして、実際にありうる姿をコンピューター上でモデリングしたものを製作しています。

「コンピューターアートでありながら、現実的な訴えかけをもつ不思議な存在感があったところが印象的でした。よくあるインタラクティブコンテンツという、結局スイッチを押すとランプが光るということの亜流でしかありません。ぼくは、前からそれは違うんじゃないかと思っていた(少なくともぼくにはあまり興味がない)わけですが、これは、それとはまったく別の次元で、ぼくたちと彼らとの相互的な関わり、という意味でのインタラクティブ性を示してくれたことが印象的でした。彼女がこの作品を通じて喚起しようとしているのは、生命工学で新たなcreatureを作り出した人間の責任というテーマです。

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