2009.11.23

続エジプト

先週滞在したエジプトのホテルで朝食を取っていた時のこと。ふと気づけば、レストラン内のスピーカーからインストルメンタルの音楽が途切れることなく流れてきていました。この時は耳障りと感じるか感じないかのぎりぎりの音量だったのですが、そう言えば、以前メキシコシティからロサンゼルスまで乗ったメキシカーナ航空(衒って「メヒカーナ」と呼ぶべきかいつも迷う)の機内で、文字通りスポットからスポットまで4時間近く延々と同じ曲が4〜5分間隔で繰り返し流れていて、さすがにヘキエキしたことがあったなあ、なんてことを思い出しながら食事を続けておりました。ところが、よくよく聞いてみれば、この曲、どこかで聞いたことがある。それどころか、これは日本の歌手の歌のはず……。しかも、その曲のサビの部分ばかり延々と繰り返されていました。

レストランから部屋へ戻る道すがら、自分でもそのメロディーを口ずさんだりして記憶を呼び起こそうと色々した結果、ようやくその曲が谷山浩子の「Desert Moon」だったことに気づきました(これも一種の「Ah ha!」体験か)。でも、何でエジプトで谷山浩子なのか、もしかして流行ってたりするのか、ひょっとするとエジプトの砂漠にちなんで「Desert Moon」だったのかとあれこれ考えてみたのですが、真相は謎のまま。誰か種明かししてください。

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2007.12.01

NRT-(JFK)-GRU-CGH-SDU-GIG-GRU-JFK-DCA-IAD-JFK-NRT

Dsc0035911月の8日から23日までリオ・デ・ジャネイロとワシントンDCに行ってました。リオは昨年、クリエイティブ・コモンズのイベントで行って以来2度目ですが、まさか2年続けて地球の裏側まで旅することになるとは思いませんでした。今回は、昨年アテネで開催されたInternet Governance Forumがリオで開催されたので、それに出席するために行ったのでした。

写真は市内のバルガス大通りにそびえるスターリン様式っぽい建物。

Dsc00365ワシントンDCへは、「どのみち東海岸を経由するんだから、この際DCに寄っていこう(もちろん仕事で)」という同僚のアイデアで立ち寄った次第。もっとも、その同僚はワシントンDC経由でリオに行ったので、まさに「立ち寄った」のですが、わたくしの場合、ヒコーキの都合でニューヨーク経由だったもので、立ち寄った感は若干薄れてます。

こちらの写真は、ワシントンDCのデュポン・サークルでたまたま出くわした朝市のカボチャ売り場。さすがハロウィーン行灯にカボチャを使うだけのことはあって、カボチャの種類が豊富なのが分かります。

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2007.01.25

奇遇

今朝、ベトナムの首都ハノイから帰国いたしました。今年1.5回目の海外でした。日曜日に出発して、木曜日(というのは今日)の未明にハノイを発つ3泊5日の日程で、いつもお世話になっているC財団の関係の調査でベトナム語の検索エンジンの状況を調べてきた次第。

ちなみに、「今年1.5回目の海外」というのは、暮れから正月明けにかけてパリに行っていたのを0.5回と数えているからですが、それはさておき……

帰りの飛行機でわたくしの隣の席に座っていた男性、どうも見覚えのある方だなあと思っていたら、なんと、6~7年ぐらい前、あるプロジェクトで毎週のように打ち合わせをさせていただいた方だったのです。2000年ごろにそのプロジェクトが終了してからは、すっかりご無沙汰のまま今日に至っていたのですが、まさか機内で、しかも隣り合わせの席で再会しようとは。

どうも知り合いっぽい人が同じ飛行機に乗っていた、とか、空港の売店や日暮里駅の待合室で知り合いにばったり遭遇した、とかいうことは今までにもあったのですが、まあ、なんという偶然。

聞けば、会社でエンジニアのトップであったその方、すでに会社を早期退職し、さまざまな魅力的な職へのお誘いを振り切り、今は長野の佐久に家を構え、「スローなユビキタスライフ」を送っているとのこと。週2日だけ東京で仕事をし、残りは長野の自宅でSOHO生活なのだそうです。庭(というか、敷地?)の一部を畑にしたり、仕事の合間に気分転換に自宅近くの白樺林を散歩したり、今回のようにふらっと海外に旅行に出たり……と夢のような生活について聞かせていただきました。もちろん、今でもエンジニアとしても活躍されているご様子でした。

しかし、こんなことってあるんですねー。

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2006.04.30

ICパスポート

海外出張の予定がないのを見計らって、パスポートを切り替えました。3月20日から申請受付を開始したICパスポートってやつ。これまでもっていたやつは、1997年2月からの10年旅券で、有効期限は来年の2月までだったのですが、有効期間が6か月以上ないと入国させないよ、というところも少なくないので、今年の8月ごろには新しいパスポートに切り替えなければならない計算でした。ってことなら、早い方がいいかと、4月の初めに済ませてしまいました。

ところで、今回の切り替えを機に思い切って変えたことがありました。サインをひらがなにしたのです。今まで使ってきたサインは高校生ぐらいの時から使い始めた馴染みのあるものだったのですが、ローマ字にすると15文字あって、いかんせん綴りが長い。入国書類の署名欄に入り切らないこともしょっちゅうでした。入国書類ぐらいなら、はみ出して書けばそれで済むとして(済まない?)、最近作った新しいクレジット・カードの裏の署名欄もこれまた極小で、わたくしのローマ字サインは収まりそうにありませんでした。それなら、パスポートもクレジット・カードもこの際一緒にひらがなサインにしちゃえ、ということにしたわけです。

もちろん、普通の人は漢字にするんでしょうけど、まあ子どもの頃からいろいろと名前には思い入れがありまして、このようなことに相成りました。わたくしのことを個人的に知ってる人は、きっと相変わらずやなーと思っていることでしょう。

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2006.02.15

『男たちの大和』

……を現在再び滞在中のロンドンに来る機内で見ました。何の予備知識もなく見たところ、意外なことに、なんとお涙頂戴物でした。いや、今風には、ヒューマン・ドラマ、と言うのかな。

ところで、わたくしの座席の近くで見かけた「ちょっとなー」な人のお話。

ヨーロッパやアメリカへ向かう長時間のフライトのときなど、そろそろ搭乗も終わりかという段になっても自分の回りに人が座ってなかったりすると、「お願いだから、もう誰もこの席に座らないで!」とお祈りモードに入る人は少なくないんじゃないかと思います。なぜって、自分のいる付近に誰もいなければ、座席を三つ、四つと占有できるわけなので。もちろん、出張にしろ旅行にしろ三等席しか乗れない自分もその一人だったりしますが。

で、あたりを見渡すと、今回もそういうお祈りモードに入った人が何人かいた様子。わたくしの近くに座っていた40歳前後とお見受けした日本人男性もその一人でした。仮にこの男性をJ氏としましょう。

さて、「このまま誰も来なければ3列独占できる」と期待していたJ氏ですが、最後の最後になって、一人南アジア系の顔立ちの若い男性(仮にA氏としておきましょう)が、J氏がいた3列の窓側にやってきたことでその期待も打ち砕かれてしまいました。ヒコーキの神様はJ氏のお祈りを聞き入れてはくださらなかったのです。

まあ、これぐらいならよくあること。クジに外れるようなもんです。今日はついてなかったぐらいに諦めましょう。

しかし、このJ氏、窓側にA氏がやってきた途端に機嫌を損ね出したのです。A氏のために頭上のロッカーの中に隙間を作るときもエラく横柄だったし、座り直すときにドシンと腰を下ろして不快感をアピールするし、A氏を「何でお前がそこに座っているのだ」と威嚇せんばかりの視線で直視してるし。

食事の後には、J氏は乗務員に何か訴え出した様子(座るときのマナーがなんだとか言っていた由)。この辺りになると、さすがにA氏もJ氏の考えを悟ったらしく、A氏は「日本語でお話しでしたが、私も少しは日本語が分かりますから、私のことについてお話しだったのは想像つきます。何か私に問題がありますか?」に乗務員とJ氏に尋ねました。しかし、J氏は無視。乗務員にいたっては「機内販売のことですから」とはぐらかす始末。

A氏は、その後も日本人男性J氏に向かって「何か問題ありましたか」とか「お気分でも悪いのですか」と声をかけて関係修復を試みますが、J氏は「話すことなどありません」と一蹴。まあ、見たところJ氏の一方的な言いがかりなんだから、関係修復もないもんですが、いずれにしたって、いい歳した大人が「3列を独り占めできると楽しみにしてたのに、お前が来たから台無しになった」なんて言えないしね。

途中何度か窓側の席に座っているA氏がトイレに立とうとしても、J氏は気づかぬふり。J氏にしてみれば、チェック・インのときに座席をブロックしてくれとかお願いしてたのかもしれません。でも、それとA氏とは関係ないわけで、A氏に大してこんな態度を取るのって大人げないよなあと思った12時間15分だったのでした。

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2006.02.02

エホーマキ

今でこそ東京でも「恵方巻き」なんてものを売るようになりましたが、こういうことをするようになったのはいつごろでしょうか。わたくしの記憶では、この何年かじゃないかと思うのですが。

わたくしが大阪の大学で1回生だった15年ぐらい前のこと、ある日友人が突然わたくしの下宿を訪ねてきました。しかも、大量の太巻きを手みやげに。当時は東京、というか関東では恵方巻きの風習は輸入されていなかったので、何のことやら分からず、「何、これ?」とわたくしが聞くと、「自分、知らんのか?」と驚く彼。どうやら大阪には節分に太巻きを食べる風習があるらしいということを知ったのはこの時でした。

その後東京で仕事をするようになってすぐの頃(というと今から7〜8年前)には、まだ恵方巻きは今のようにな扱いにはなってなかったと思います。よもやコンビニの店頭に並び、テレビ・コマーシャルまで流れるとは。「そう言えば、大阪では節分に太巻き食べるんだってね」と聞かれることがたまにあったぐらいかな。

ところで、上記の友人とは別の大阪の友人(大学時代は国史学専攻で今は文化財関係の仕事をしている)に言わせると、節分の恵方巻きというのは、バレンタインデーのチョコレートぐらいには由緒のあるものだとか(つまり、あまり由緒とか言っても意味がない)。それに、恵方巻きというのは、セオリー的に言うと、輪切りにせず丸ごと一本のままを、その年の恵方を向いて一気に食べ切ることになっているわけです。でも、あの量は、おやつには重すぎるし、かといって食事にするには淋しすぎ。いずれにしても扱いに困ります。

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2006.01.04

「年末年始を海外で過ごす人」

……というのをこの間初めてやりました。行き先は地中海の島国マルタ共和国とイギリス(というかロンドン)。純粋な旅行で行くのは一昨年の秋口にベトナムに行って以来なので1年3か月ぶり。ってわたくしが言ってもあまり説得力ないかも。

出張で海外に行ったついでに、その土地その土地の見所に回ったりすることもあるので、旅行的なことをするのが1年3か月ぶりというわけではもちろんありません。でも、仕事モードではなくて完全な休暇モードで海外に行くのは1年3か月ぶりなのでした。休暇モードのポイントは、家人と一緒というところと、ノート・パソコンを持って出ないというところ(これが重要!)。ノート・パソコンを持ち歩くといちいち荷物になるし(重いというのもあるけど、扱いに気を遣わなきゃいけないのが負担)、絶対に道中メールを読んだり仕事の原稿書いたりして休暇を台無しにしてしまうに違いないし。わたくし的には仕事と休暇の間の区別は、コンピュータを使うか使わないかにあるのでした。

ちなみに、今回の旅程はこんな感じ。

  • 12/25: 成田発、ロンドン経由、バレッタ(マルタ)着
  • 12/26: バレッタ市内散策
  • 12/27: マルタ島内めぐり(ディングリ・クリフ、イムディーナ、ラバト)
  • 12/28: ゴゾ島日帰り(チタデル、ジュガンディーヤ遺跡、カリプソの洞窟)
  • 12/29: バレッタ市内と近郊散策(マヌエル劇場、タルシーン遺跡、ビットリオーザ)
  • 12/30: バレッタ発、ロンドン着、大英博物館直行
  • 12/31: ロンドン市内めぐり&トラファルガー広場での年越しカウント・ダウン
  • 1/1: ロンドン市内めぐり、ロンドン発
  • 1/2: 成田着

マルタとは、かつてソ連大統領ゴルバチョフとアメリカ大統領の大ブッシュが冷戦終結の会談をしたところでもあります。その昔、エルサレムの守護や巡礼者の保護にあたったらしいヨハネ騎士団の流れを汲む騎士たちがこの島で征服王朝さながらの「国づくり」をしたので、ヨーロッパ中世の石造りの街並みを今に残しています。騎士団は本国からの仕送りで裕福だったらしく(騎士には貴族の次男坊とかも多く、またキリスト教の守護者ということでスポンサーも多かった由)、その財を投じて島内に堅牢な砦や荘厳な教会を築き、街作りを進めました。

でもそれは昔のこと。今のマルタには、昔栄えたけれど今はぱっとしない(というか寂れた)都市に共通する無常観というか「打ち捨てられた雰囲気」がそここことなく溢れています。バレッタや、マルタの他の町に残されている石造りの城壁や砦は、遠巻きには堅牢に見えますが、近寄ってみると石積みの表面は剥がれてるし、間には雑草が生えています。松尾芭蕉が「夏草や 兵どもが 夢の跡」って詠んだときの風情はこんな感じだったのかもしれません(ちょっと違う)。

さて、この間のEU拡大でマルタはEU加盟国になり、ユーロ導入も秒読み段階(現地通貨のマルタ・リラとユーロとの間の為替レートは既に固定)です。EU経済との融合が深まり、マルタ経済への投資が増加すれば、マルタの遺跡や史跡は貴重な観光資源として修復や整備が進むに違いありません。マルタ名物の一つに数えられている、昔ながらの車両で狭い街路を走り抜ける路線バスには新型車両の導入が進み、バス・マニアのあこがれだった旧式車両は少しずつ姿を消しています。マルタの魅力はそのテーマ・パークっぽさにありますが、ヨーロッパ先史時代の遺跡や騎士団時代の史跡は、あと10年もしないうちに本当のテーマ・パークになっているかもしれません。

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2005.11.25

ザ・ワールド・オブ・コカコーラ

IMG_1797この間アトランタに滞在したとき、パリ行きのフライトまで半日時間があったので、「ザ・ワールド・オブ・コカコーラ」というところに行ってみました。まあ要するにコカコーラ博物館ですな。ちなみに、写真の後ろに光る金色の丸屋根はジョージア州議事堂。

さて、コカコーラなんぞ1年に1回ぐらいしか口にしないわたくしが、この博物館に足を運んだのは、ただ時間が余っていたというだけではなくて、やはりご当地ものだったからです。わたくしのことを個人的に知っている人なら、わたくしが「ご当地もの」とか「縁」とかいうものに異常に執着ししていることをご存知でしょう。まあ、わたくしにとっては六曜みたいなもの。そういう指針がないと何事も決められないもので。

で、コカコーラはアトランタで生まれ、今も本社はアトランタにあるという、ジョージア州のまさに誇り。館内では、某という薬剤師がコカコーラの原料の配合を発明した19世紀の終わりから、世界に冠たる多国籍企業に成長した今日に到るまで、製品として、企業として、そしてブランドとしてのコカコーラがたどってきた歴史が、写真、ポスター、その他の展示物(例えば、開業当時のフラスコとか、専用クーラーボックスとか)を取り混ぜて説明されています。

福音派のキリスト教(禁酒・禁煙を尊ぶ)が強い南部という土地柄や、禁酒法前夜という時代がうまくノン・アルコール飲料としてのコカコーラの発展に結びついたのかなとも思うのだけど、そういう説明は残念ながらありませんでした。誰か知ってたら教えてください。

ところで、歴代のコカコーラの広告は、それぞれが当代きってのグラフィック・アートでもあるわけです。時代順に並べられたコカコーラの広告は、表現手法の移り変わりや、時代ごとにコカコーラに投影されたイメージをたどることもできます。わたくしは急いでたので見つけられなかったのですが、ノーマン・ロックウェルが広告の絵を描いたこともあるのだそうです。そういう意味では、この「ザ・ワールド・オブ・コカコーラ」、予想以上に面白かったのでした。

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2005.11.20

キリムを買う

IMG_1828この間結婚した職場の後輩S君のお祝いにトルコのキリムという織物をみんなで贈ったんだけど、その過程でキリムなるものについて調べているうちに自分でも似たようなものが欲しくなり、現在滞在中のチュニスの旧市街に出かけていって自分用に1枚買ってしまいました。しかし、400ディナールというものを300ディナールで買っても、何だか漂う敗北感。値切り交渉を半値より下から始められる図々しさがいまだに身に付きません。

ちなみに、キリムというのは、地中海沿岸で作られている織物のことらしいけど、今回買ったものが同じようにキリムとくくられるものなのかどうかは不明。写真は店の主人(か若旦那)。

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2005.11.14

しっかりしろ。>hotels.com

現在滞在中のアトランタから、世界情報社会サミット(WSIS)に出席するためこのままチュニスに行く予定、というのは、この前のエントリーに書きましたが、そのチュニスの宿泊で問題発生。

ずい分前から、チュニスのホテルはどこもWSIS用の賓客や関係者向けにブロックされていて、予約が全然入らないというのは聞いていたのですが、hotels.comで調べると「空き」があるらしいよ、と同僚から教えられ、そこに予約をしてみたところ、すんなり予約が入ったのでした。hotels.comには、クレジット・カードで前払いし、confirmationも来たのでした。それが10月の終わりごろ。

ところが、昨日になって、hotels.comを通じて取った予約がキャンセルされたというメールがやってきました。こっちは明日チュニスに向かうというのに。

Dear Valued Customer, Unfortunately, the reservations that you have booked are not available. We apologize for any inconvenience this has caused you. We would like to relocate you to another property at no additional charge. Please take a look at our web site. Please decide which hotel you would like to be relocated to that is comparable to what you had originally booked. Should you prefer to cancel without fee, your money will be refunded to your credit card within 7-10 business days. Please contact us as soon as possible regarding this matter. Any of our agents can assist you. We may be reached at our toll free phone line at 1-866-430-4981.

こりゃいかんと思って、hotels.comのサイトで代わりのホテルを探してみるものの、どうも空いているところが見つからない。知らんぷりして「このホテルが空いていたら、予約を入れてください」なんてメールを出してみるけれど、当然、返事がすぐに来るわけありません。こういうときにメールでやっててもラチがあかないので、指定された番号に電話をしてみました。たまたまアメリカにいたのでアメリカのフリー・ダイアル番号が使えたことだけが唯一ラッキーだったかも。

で、hotels.comの担当者に調べてもらったものの、予約したはずのホテルの近くや、チュニス市内のホテルはどこも一杯の様子。こっちもチュニジアの地理なんて分からないけれど、相手も100kmも200kmも離れたところのホテルなら空いてるよ、なんて言ってくる。それじゃ駄目なのよ。

むっときたので、「何で今頃になってこんなことになったのか、あんたらがconfirmationなんて送ってこなければ、こっちだって別の手を考えられたはずなのに、どうしてくれる」と詰め寄ると、「大変申し訳ありませんでした。予約時にお支払いいただいた宿泊料は全額お返しいたします。また、お客様がご自分でホテルをお探しになり、そのホテルに宿泊された場合には、今回の不手際の迷惑料として最高400ドルまでお支払いします」などと言ってきました。こっちとしては迷惑料が欲しいのではなくて、宿泊できるところが欲しいわけなので、この後に及んでそんなこと言われても困るって。

ただ、こんな状況でhotels.comに話してもラチがあかないと思ったので、迷惑料の話だけ承って電話を切りました。その後何軒かホテルに電話しても早朝だったこともあって担当者が不在だったり、英語が分からなかったりでどうにもなりません。二外でフラ語をやっときゃよかったと思ったのは、思い出せる限り、新婚旅行でタヒチに行ったとき以来(チュニジアはフランス語が結構通じる)。

で、代理店とか代替のホテルばかり相手にしてても仕方ないことに思い至り、予約したはずのホテルに直接電話してみました。hotels.com経由で入れた予約がキャンセルされてしまったということを伝えたところ、「存じ上げております。大変申し訳ありませんが、系列の別のホテルをご案内しますので、メールでご連絡ください」とのこと。結局代わりのホテルというところも一杯でしたが、ここは、メールした後ですぐに折り返し携帯に電話をくれたので、役には立たなかったけれど、フォローするという姿勢は見せてくれたところはさすが五つ星というべきか。

ところで、ものはついで、と、「なんでこんなことになったのか。俺の予約はちゃんと入っていたのか。それともhotels.comが取れていない予約を取れたと報告してきたのか」と聞いてみたところ、どうやらこのホテルとhotels.comの間に別の代理店があるらしく、その代理店が、予約が確定できなかったのにもかかわらずhotels.comに返事をしたか、あるいは予約はしたけれど、その後勝手に予約をキャンセルしたらしいことが分かりました。邪推だけど、主催国であるチュニジア政府が、ホテルが足りなくなったのに焦って、直前になってWSISの宿泊客向けの追加ブロックを指示したりしたんじゃないだろうか。でも、こっちだって、WSISの参加者なんだしさ。そんな勝手なことされたら困るって。

ここまで来たら現地入りしてからホテルを探したほうが早いか、とも思ったのですが、やっぱりそれは不安なので、グレードの低いローカルのホテルなら空いているだろうと、今回出発するときに珍しく買っておいた『地球の歩き方』に載っていたホテルのうち三つ星以下のホテルに片っ端から電話をかけました。テレフォン・アポインターの人ってこんな気分なのかしら、などと思いながら。

10軒ぐらいのホテルに電話をかけたところ、三つ星、二つ星は全滅でした。うち何軒かは英語を話す人がいなかったので詳細は不明ですが、まあ、わたくしが予約を入れられないことに変わりはありません。結局、ようやく一つ星のホテルに空きを見付け、とりあえずそこに予約を入れることができ、一応、一件落着だけど、行ってみるまではどうなることやら。

チュニジアと言えば、5月に新宿で開催された東京ユビキタス会議の手伝いをしたとき、チュニジア大使館から「我が国から視覚障害をもつ参加者が来るので、成田とホテルの往復にアテンドを付けてくれ」と、会議直前の金曜日になって言われたことがあったことを思い出しました。あのときゃ、成田まで迎えにいく人を手配して、ホテルも会場と同じところに変更して、帰りも朝早くホテルまで迎えにいって、チェック・アウトの手伝いをして、リムジンバスに案内したりまでしたのにね。

っていうか、今回一番悪いのはhotels.comだけどさ。しっかりしとくれ。

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