六本木の芋洗坂を下り、途中の路地を入ってすぐのところに、「味覺」という天ぷらの店がある。その路地をもう少し行くと、母方の菩提寺があるので、その店のことが墓参の時にいつも気になっていた。そこに、ふと思い立ってこの間入ってみた。実は、店先の雰囲気からその店はあまり繁盛していないようだとわたくしは勝手に想像していた。だから、そんな店があの界隈で続けていけるというのはどういうことなのだろうかという興味があって、それでの店に入ってみようと思ったわけだ。
ところが、わたくしが行ったその日は、昼時のピークをちょっと過ぎたあたりだったにもかかわらず、しかも入れ替わり客がやってきて、店内は「ほぼ」満席。「ほぼ」というのは、客がひっきりなしに入る割には、どこかしら席が空いていて、たまたまなのかもしれないが、すぐに座れないということがなかったからだ。そもそも空きを待つ人の列ができるほどなら、わたくしが「あまり繁盛していない」などという失礼な想像をすることもなかったに違いない。
この「ほぼ」満席というのは、わたくし的には重要なポイントで、行列ができるほど客が入ると、行きたいときに行けないし、席が空きすぎている店は味か値段のどちらかに問題があるということなので、わざわざ行こうという気にならない。それに比べると、「ほぼ」満席というのは、味と値段、それから人気が程よく釣り合っているということだ。
店に入り、カウンター席で注文ができるのを待っている間、天ぷらを揚げている店主の姿が目に入るとなく入ってきた。そして気がつくと、店主の手際の良さにしばらく見とれていた。長年天ぷらを揚げているから当然なのかもしれないが、やはり何であれ長く続けることでしか培われない技や芸に接するのは気分がいい。自分ができないことを事もなげにやってみせたり、自分が知らないことを知っていたり、自分にはできない気遣いがあったり、そういうことの積み重ねからプロや専門家に対する安心感や信頼感が生まれるのだと思う。
実は、職人技とか職人芸というものとは無縁に見える仕事をしている場合でも、自分にしかできないこと、自分しか知らないこと、自分しか気づかないこと、というのはあるはずで、そういう意味ではわたくしたちは皆プロであり、専門家であるはずだ。自分の姿が人にどう見られているか、ということに常に敏感でいたいものだ。
店の感じも、天ぷらの味も、値段も程よく釣り合っていたのだが、そこはさすが「ほぼ」満席の店。こんなことを考えてもまだ暇があるぐらい注文の品が出てくるまでに時間がかかってしまった。まあ、それも揚げたての天ぷらを出す以上しかたのないことで、そういうのも含めてよい店だったということか。
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